冷戦

記事を久々書こうと思ったらなんかうまいこといかんかったが、今こうして書けているので問題ないかな。

 

春休みが始まった。本を二冊読んだ。いい滑り出しではなかろうか。英語とプログラミングをやれてないことは予定に沿えてないがまだまだ修正は効く。「ジョゼと虎と魚たち」と「雪国」を読んだ。

前者は大人の恋愛のうまくいかないところを集めた感じ。現代小説のような甘ったるさがなくほろ苦いビターチョコのような恋愛集。子供ができなかった夫婦。旦那がある日年下の女の子を妊娠させてしまった。その女が「産まないなら死ぬ」という。だから離婚してほしいと言った。しかし別居当日になって男がしぶり出すが妻であった女は出て行くことのみ考えている。という話が一番いたかった。妻であった女が自分であったらと考えると辛いし、男にとても腹が立った。将来こんな恋愛をするとしたらこんな筋書きを作り出せるのだろうかと自分の経験の浅さを感じるし、いまの自分の青さを知る。サカナクションのaoiで歌われているような青さとは違うのだろうけどこれもまた青さである。

後者はノーベル文学賞作家の川端康成の著書である。今回初めて知ったが、ノーベル文学賞を受賞して4年後に亡くなっているのだそう。しかもガス自殺。72歳で自殺だそうだが、そこまでくれば自殺せずとも死は時間の問題では?と思ったがそういうことではなかったのだろう。話自体は芸者と男の話。年に一回ペースで会っている雪国の小さな温泉村にいる芸者。この芸者の言葉がちょくちょく胸に刺さる。一番刺さったのは主人公である島村という男が、芸者に向かって言う台詞

「その人の命の一番終りのペエジに、君を書きに行くんだ」

場面としては芸者が奉公に行く際に唯一見送ってくれた師匠の息子が危篤であると葉子が伝えに来た。この息子が見送りに来たことを芸者、駒子は自分の日記の一番最初のページの一番最初に書いていた。その息子の死ぬのを見たくないと言う駒子に対して言う台詞だ。これを考えたのは18の青年ではなく50前後のおっさんなのだ。この言葉は一見くさく見えるようで、実はたくさんの経験を積まないと出てこない言葉なのかもしれない。

 

冷戦というのも大げさだがまたもどうしていいかわからぬのだ。本当に嫌だ。多分会えば会うほど寂しくなるし、会わないというのもまた寂しい。どうでもよくなってしまうのは嫌だ。けどいまの自分が気持ち悪いからきっとカエルさんも気持ち悪く思ってる。疲れたよパトラッシュ。